2018年
昨日が仕事納めでした😊
せっかくなので1年を振り返り少し綴ってこうと思います💄
2018年は僕の中で変化の年になりました。
30歳と言うまあキリのいい歳でしたので、長くいた業界を引退するか否か決めることにしました。
考えた末出た答えは後者 続行でした。
残り少ない余命(年齢的に)をどう過ごすかなと組み立ててる最中どうしてもやり残した事がある。。
凄いヤツらと戦ってみたい。その景色を見てみたい。
これは店を創ってく中で1番に目指さないといけない事でもあり、どんな店でも始めから凄いわけなんてない。
自分が諦めたら信じてついてきた人間はどうなる。
存在意義がなくなる不安。
離れる事の怖さよりその時おれがその選択をした事で悲しむ人間を作ってしまう事が申し訳なくて決断するまでに時間が掛かりました。
結果長く居た場所に別れを伝え現在の店(Latte)になりました。
それなりのポジションにいたのになんで全て捨ててまで行ったのかと会う人会う人に聞かれました。
悪く言われる事も少なくありません。宿命なんでこれからも受け入れようと思う。
ですが着いてきてくれた仲間もいます。見られてる以上これからも先頭切って(2位でした)背中見せていきます。
色んな気持ちを犠牲にした変化です。あとはひたむきに自分が出来る事(早起きくらいですが)をしていきたいと思います。
姫様方、前から指名してくれた子も移籍してから指名してくれた子もみんなありがとう。
君たち1人でも欠けてたら今のおれはなかったです。
おれまで楽しくさせてくれるような優しい笑顔の素敵な奴らばっかで幸せだよ。
つらつら長く書いちゃったんで新年の挨拶は簡略化させてもらい〼
【ご報告】結婚しました。
まず初めに、突然の報告になってしまった事を心よりお詫び申し上げます。
急な退店も合わさりドタバタしてしまってました。。
タイトルにもある通り結婚しました!
浅草神社、神前式で行わせていただきました。
10代に蒸発した父と奇跡的に連絡が取れ、再開も果たし、酒を交わす事ができた。
久々の対面、老けて誰か分かるまでに数秒掛かったが変わらずのキャラでなんか安心した。
式、会食も終わりじゃあ終わりますかのタイミングで喫煙所で偶然父と鉢合わせ。
なーに話そうかなと考えていたら父から、
あの時はごめん。
お前にだけは何年経っても、いつか必ず会って謝りたかった。
もう二度と会う事はないかもしれないけど、伝えられてよかった。
って突然言われた。
蒸発した後は、長男だし親父代わりにならなきゃって10数年、ひたすら家族に尽くしてきた事を妹から聞いていたらしい。
その時は おう しか言えなかったけど、めっっちゃ嬉しかった。そして涙が溢れた。
やっぱ離れても親父は親父なんだなあと。
まあそんなこんなで妹夫婦の1年の目標は母に孫の顔をみせる事のようです。
以上、妹の結婚式の様子をお送りしました。
ああくそ…結婚してえ…。
ホストクラブの行く先
ホストクラブは今後どうなっていくのだろう。
この世界に身を置いて早10年。
長い方は20年30年以上の方もいるらしい(すげえ)
そもそもなんですが、ホストクラブが消滅するって事はないと思うんです。
だって中華屋さんが日本からなくなる未来なんて想像出来ないでしょ?
僕の知る10年の中でも変化が沢山ありました。
歌舞伎町
10年前は路上のキャッチがOKだったので、営業中に新宿駅まで行ってキャッチしてくるなんて日常でした。
さらに営業時間は3~8時の深夜営業が当たり前に行われていました。
8年前に規制が掛かりキャッチしてる店は営業停止に、、
そこからチラシ配りのていで(!)キャッチをする店が表れ
すぐ流行るも即規制され、今ではホストが外へ出ることがなくなりました。
(街歩きやすくなったね!)
ここ近年、代わりに増えたホストではない野生の声掛け部隊。(通称ガイハン)
話を聞くと毎月逮捕者が出てるようで、警察もイタチごっこだそうです。
結局歩きずらいのは変わりません。残念。
(女の子の店へのキャッチさんは3ヶ国語話せるそうです、すげえ)
ざっと外から見る歌舞伎町ホストクラブの変化を書きましたが、もっと濃いものも沢山ありました。(これは気が向いたら書きます)
ですけど、やっぱり変化ってとても大事なことだと思うんです。
これは業界としてではなくお店として。
中華屋さんがなかったら、麻婆豆腐の美味しさも、ラーメン、餃子、回鍋肉、チャーハンの美味しさもしらないままでした。
私は子供の頃から麻婆豆腐が好きなので今では麻婆豆腐専門店なんかにも行ってます。
クックドゥの回鍋肉も美味しいですよね。
中華屋さんがなかったら専門店も、宅配も、冷凍食品もなかった。
ホストクラブも色んな店、色んな人がいるから競争も起こり、アイディアが生まれ枝が広がってきたんだと思います。
30年前の歌舞伎町にホストクラブは10軒もなかったそうです。
現在200店舗以上、4~5000人のホストが歌舞伎町にいます。
んな居たのか。()
少し話が変わります。
行きつけのお蕎麦屋さんがあるのですが、色んなメニューを考えてくれるので毎月楽しみに行っています。
店主が
「楽しみにして下さるから僕も楽しみに作っております」
と言ってました。
どんな商売も、その先にある笑顔 ってテーマは変わらないと思うんです。
最近のホストクラブはどこも売上バトルばかりでつまらないです。(露骨)
やっぱりお客さん喜んでくれるようなガワを作るべき。うんうん。
嫌でしょ、ラーメン屋で売上バトル!!とか書かれてたら!
まあ可愛い子しかいないラーメン屋なら入るかもしれないけどさ!!
この先大きくなっていく「ホストクラブ」の未来が、もっとエンターテインメントな、国籍男女問わず入れるような場所になったら楽しそうだなって思ってます。
ホストクラブってのが面白いらしいよ!って色んなメディアに載せられて、そんできてくれたら嬉しいなあ。楽しいだろうなあ。
おじいちゃん昔ホストクラブいたんじゃぞー。
えーすごーい!
なんてなったら嬉しいなあ😃✋
でも何でこんなこと考えるかだって?
もっと観光客取り込みたいじゃん!!!
fin(露骨)
姫杞になった経緯と意味゚+2
さて姫杞物語の続きです。
姫杞になった経緯と意味゚+ - himeking20’s blog
1を見てない方はコチラ↑
(こんな技まで使えるようになりました)
新宿東口は今と全く代わりなく、大変混雑しておりました。
※参考画像
さすが乗降客数世界一の駅新宿、、
キョロキョロしていたら優しそうな少し怖そうなお兄さんに声掛けて頂き、探しているなら案内してあげると。
なんて優しいんだ!!と二つ返事で快諾し付いていくことに。
今思い返せばただのスカウトで、ほいほい乗っかるただの芋二人なだけだったんですけどね笑
歩く事10分、お店に到着!
意外にぼろっちいし小さい雑居ビルでした。
ホストクラブは、お洒落なビルにお洒落な店構えなのかと思っていただけに少しガッカリ。
ドアを開けると中は電気が付いており、人の気配が感じられない、、
あれ?営業中じゃないのかと少しホッとしていると、奥から表れた方に案内され店内に。
外の音も遮断され、凄く静か。
少し薄気味悪い店内で面接スタート。
お手製履歴書のようなものを記入し、友人と僕と面接官の3人で始まったのですが、そりゃもう凄い!
最初は日給1万円(!)、
稼げるようになれば100万円も夢じゃないらしい!
こりゃ人生薔薇色だスゲーなんて友人とキャッキャウフフしていると、ドアが開き従業員の方が入ってきた。
軽く挨拶をし、近くのソファにどかっと座り煙草を吸い出した。
初めて見るホストに横見でチラチラ観察しまくりまくっていると(興奮してました)
何やら腕に
人の名前が。
ちらっと友人を見ると、目を丸くしながらガン見しまくっていた。そりゃそうだ。
気付いた従業員の方は声を掛けてくれた。
「これはお客さんの名前。これで愛情伝わるんだよ」
えええええ、そうなの??!
浮かれまくってからの、急に血の気が引く芋二人。
そしてある事に気付く。
その名前が、
男性の名前だったことに。
to be continued…
姫杞になった経緯と意味゚+
初めましてひめきと申します。
初投稿なので、生暖かい目で見てやって下さい。。
誤字脱字や文の構成は徐々に上手くなってくと思いますので見にくかったらごめんなさい。。
そしてまず姫杞は本名じゃありません。。残念ながら。(?)
源氏名です。タレントの名前みたいなものです。
僕結構珍しい名前なようで、まあ大体源氏名はどこかの店の誰かと被るもんなんです。
ですが夜の業界10年以上居てもなお、
別の店に『姫杞』を見たことがない。。
※ちなみに ひめき と読みます
ここまで被らないのは名誉ある事(?)だなと思います。
そこでどうやって生まれた、、誕生秘話!
僕が初めて姫杞になったのが、忘れもしない18歳の6月
当時は大学生でした。
突然友人からホストやってみたいと言われ、お前もやろうぜと持ち掛けられました。
基本イエスマンな僕はいいよと答え、そのまま学校帰りに新宿に行く事に。
ガラケー時代なので今より情報が圧倒的に少なく、
[なにをどうすればホストになれるのか]
すら分からなかったんです。
(ホストサイトの存在を知らなかった)
しかしそこは18歳。
僕「どうする?」
友人「大丈夫っしょ!
新 宿 行 け ば ホ ス ト に な れ る べ」
僕「なるほど!」
と、完全素人の僕らは新宿行けばホストになれるだろうと言う ゆとり全開でそのまま新宿行きの電車に飛び乗った。
初めて降りた新宿駅はもう人の多さでパニックでした。笑
そして流れのまま出る西口改札。
あ、東口行きたかったけどまあ歩けばいーかと話しながら歩き出したのですが、
い、いくら歩いても着かない。。
(駅沿いを左回りに歩いてた)
初めて交番で道を聞いたのも、そういえば18歳の6月でした。
※新宿駅は改札が何箇所もあり、出る改札を間違えると最悪何十分もかけてぐるっと外周しないといけない迷宮なのです。
お巡りさんの案内で(!)無事東口に到着する僕ら。
途中、どこに行くのか聞かれたのに何故か新歓ですと嘘を付きました。あの時のお巡りさんごめんなさい。。
なんとなくホストってブラックなイメージももってたので。笑
さて到着してからですがそれはPart2でお話したいと思います。
では!